Jacques de poils du Nez

クラシック音楽のレビューを書く練習

EAN:3325480683268

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Dmitri Shostakovich: Violin Concerto No.1 in A minor, op.77
Dmitri Shostakovich: Violin Concerto No.2 in C-sharp minor, op.129
Marie Scheublé (Vn.)
Orchestre philharmonique de Monte-Carlo / James DePriest
(Rec. July 1995, Congress Auditorium, Monte-Carlo)


ドミトリ・ショスタコーヴィチ(Dmitri Shostakovich, 1906-1975)のヴァイオリン協奏曲2曲をマリー・シューブレ(Marie Scheublé, 1974-)のヴァイオリン独奏と、ジェームズ・デプリースト(James DePriest, 1936-2013)の指揮するモンテカルロフィルハーモニー管弦楽団の演奏で聴く。1995年7月に、モンテカルロのコングレス・オーディトリアムで収録されたとのこと。シューブレの商業録音第一号であった。

シューブレは、どこの生まれかは知らないが、フランスのヴァイオリニストらしい。ジェラール・プーレの門下で、イェフディ・メニューインやザハール・ブロンの薫陶も受けた。1992年にパリで開かれたメニューイン国際ヴァイオリン・コンクールで優勝した実績を持つ。メニューインに秘蔵っ子が重量級のレパートリーを録音デビューに持ってきたという事で、発売当初は少し話題になったが、その後、ディスコグラフィはあまり増やせていないようである。このデビュー盤でも、シューブレの色っぽいポーズの写真を載せて、ビジュアルの良さもアピールしているが、アリオン・レーベルは、どういう戦略で彼女を売り出すつもりだったのだろう?

指揮をするデプリーストは、アメリカのフィラデルフィア出身の指揮者で、マリアン・アンダーソンの甥。ヴィンセント・パーシケッティの下で作曲を学んだが、若かりし頃はジャズを好み、クインテットを組んでパーカッションを担当していたという。また、自分の作曲したダンス・ミュージックを指揮して実践的に指揮法を体得した。26歳の時にポリオに罹患して半身不随になったが、1964年にディミトリ・ミトロプーロス国際指揮者コンクールに出場して優勝し、ニューヨーク・フィルハーモニックでのレナード・バーンスタインのアシスタントを皮切りに、欧米諸国のオーケストラに客演して名声を得た。この録音が行われた時、デプリーストは、モンテカルロフィルハーモニー管弦楽団音楽監督を務めていた。

で、演奏の出来はどうか。
デプリーストはショスタコーヴィチ交響曲全集を録音するほどにショスタコーヴィチの作品に精通していて、オーケストラから力感の不足しない隆々たるサウンドを引き出している。ヘナチョコなヴァイオリニストであれば、ダイナミックなオーケストラのサウンドに蹴散らされてしまうのだが、シューブレのヴァイオリンはなかなか善戦している。演奏当時、二十歳かそこらのお嬢さんに往年のダヴィッド・オイストラフのような貫禄を期待するのは無理だが、レオニード・コーガン程ではないにせよ、鞭のように撓るヴァイオリンの音色を駆使して伴奏オーケストラの猛攻を凌ぎ切り、軟ではない演奏家としての肝っ玉を印象付けることに成功している。また、オイストラフのような往年のロシア勢とその後継世代とは違った味わいも持っている。ショスタコーヴィチのこれらの曲が成立した頃の重積的な鬱屈感が薄められ、むしろヴァイオリン独奏の行く手を阻む壁としてのオーケストラとの渡り合いを楽しむようなところがある。深刻ぶることなく素直であることで、往年のロシア勢の演奏で刷り込まれてきたこの曲についての重苦しいイメージが少し和らぐ。

シューブレの演奏は、ショスタコーヴィチに適しているとはいえず、むしろ同じロシア系のヴァイオリン協奏曲であれば、セルゲイ・プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲2曲に挑戦してほしかったところ。同じアプローチでカロル・シマノフスキのヴァイオリン協奏曲2曲も適しているかもしれない。ただ、いきなりショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲を録音してしまったことで、オーケストラ伴奏の充実したガラの大きなヴァイオリン協奏曲を好むヴァイオリニストとして、音楽愛好家達の頭にインプットされてしまったかもしれない。その後、ディスコグラフィの構築がうまくいっていないところを見ると、自分の芸風を売り出す方策を巡って隘路に嵌ってしまったのかもしれない。もう一花咲かせてほしいところだ。

EAN:4560250641201

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Johannes Brahms: Violin Concerto in D major, op.77
Gerhard Hetzel (Vn.)
Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra / Akeo Watanabe
(Rec. 16 March 1988, Tokyo Bunkakaikan)

Wolfgang Amadeus Mozart: Violin Concerto No.5 in A Major, K219
Gerhard Hetzel (Vn.)
Yomiuri Nippon Symphony Orchestra / Heinz Rögner
(Rec. 14 March 1988 Suntory Hall, Tokyo)


ヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms, 1833-1897)のヴァイオリン協奏曲と、ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart, 1756-1791)のヴァイオリン協奏曲No.5を、ゲルハルト・ヘッツェル(Gerhard Hetzel, 1940-1992)の独奏で聴く。伴奏は、ブラームスの方が渡邉暁雄(Akeo Watanabe, 1919-1990)の指揮する東京都交響楽団モーツァルトの方はハインツ・レーグナー(Heinz Rögner, 1929-2001)の指揮する読売日本交響楽団がそれぞれ受け持つ。1988年にヘッツェルが来日した時のライヴを収録したもので、両曲とも演奏終了後に拍手が入る。ブラームスの曲が3月16日の東京文化会館における演奏で、録音はデジタル方式。モーツァルトの曲は。ブラームスの録音の2日前のもので、東京のサントリー・ホールでの演奏でステレオ方式の収録となる。しかし、いずれも音質的には大差ない。

ヘッツェルは、旧ユーゴスラヴィア領のヴルパス出身のヴァイオリニスト。1964年から1968年までベルリン放送交響楽団コンサートマスターを務め、1969年にウィーン国立歌劇場管弦楽団にヘッドハントされた。そのままウィーン・フィルハーモニー管弦楽団コンサートマスターに採用され、「世界最高のコンサートマスター」と言われるほどの名声を得た。
ルドルフ・パウムガルトナーやウォルフガング・シュナイダーハンの下で修行していた頃から、ヘッツェルは師匠たちの創設したルツェルン祝祭弦楽合奏団に加わり、アンサンブルの経験を積んだり、独奏者としての腕を磨いたりしていた。1961年にはジュネーヴ国際音楽コンクールのヴァイオリン部門で3位入賞しており、その腕は折り紙付きだ。ただ、独奏者として立つよりは室内楽を好み、アンサンブルの調整役を得意とする人だったので、彼の名前が大書される録音はさほど多くない。その録音の少なさのせいで、彼の存在が忘れられていくことを危惧する人には、この録音は福音となるのだろう。

このCDで共演している指揮者も、ヘッツェルの共演相手として不足のない人たちである。ブラームスの作品で東京都交響楽団を指揮する渡邉は、東京生まれの指揮者で、日本フィルハーモニー管弦楽団創立者である。また彼の母親の祖国の代表的作曲家であったジャン・シベリウスの作品を積極的に紹介し、日本に於けるシベリウス受容の大立者でもあった。
モーツァルト作品で読売日本交響楽団を指揮するレーグナーも、ライプツィヒ出身のドイツの指揮者で、エゴン・ベルシェの門下。1958年にライプツィヒ放送交響楽団の指揮者陣に加わったあたりから頭角を現し、1962年からベルリン国立歌劇場の常任指揮者、1973年からベルリン放送交響楽団首席指揮者などを歴任して旧東ドイツを代表する指揮者の一人に数えられるようになった。この録音が行われた頃は、読売日本交響楽団の首席指揮者を務めていた。

収録された演奏について、ヘッツェルの独奏は、いずれの曲でも独奏者であることを忘れてコンサートマスターの席に座ってしまうのではないかと思うほどにオーケストラと同化しやすい。往年のヴァイオリンの名手たちのように「我こそは!」と名乗りを上げるような押し出しに乏しい。しかし、重音奏法もきれいで、目の細かいパッセージでも型崩れしない技巧の確かさはある。カデンツァは両作品ともヨアヒムの作で統一している様子ではあるが、これ見よがしな動きの少ないすっきりとした奏楽はお見事。我が強ければ天下一の独奏者に成れたわけだ。
ブラームスの作品は、渡邉の指揮によるオーケストラの高雅なサウンドが素晴らしい。それに寄り添おうとするヘッツェルの存在が、オーケストラに純度のより一層高いサウンドを鳴らすモチベーションを与えているのかもしれない。これに力強さが加わればよいのだが、その力強さのためには、独奏の哲学的逡巡を思わせる所作も大事だろう。ヘッツェルは均整美を重んじるあまり、オーケストラと共同して大柄な音楽を奏でるところに結びつかなかった。もっとも、弁証法的高みを目指すのではなく、融和的で穏やかな音楽の展開を求める向きには、ブラームスのこの曲でそんな気分にずっと浸れる喜びをかみしめることが出来るだろう。
モーツァルト作品の演奏は、レーグナーがまろやかな響きを引き出しつつ、シャキッとしたテンポ感覚で音楽全体を引き締めているのが良い。ブラームスの音楽のような気宇雄大さは必要ないので、こちらのほうがヘッツェルも楽しそう。もっとも、ジャック・ティボーのような弾いているんだかレディーを口説いてるんだかわからないような演奏ではなく、真っ当な楷書体。しかし、ヘンリク・シェリングがフィリップス・レーベルほどに楷書であることを強調しない自然さがある。

EAN:099923657125

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Richard Strauss: Parergon zu Symphonia Domestica, op.73
Richard Strauss: Panathenäenzug, op.74
Anna Gourari (Pf.)
Bamberger Symphoniker / Karl Anton Rickenbacher
(Rec. July & September 1999 Konzerthalle, Bamberg)


リヒャルト・シュトラウス(Richard Strauss, 1864-1949)がパウルウィトゲンシュタインのために書いたピアノとオーケストラのための協奏的作品2曲―《家庭交響曲余録》と《パンアテネ祭の行列》―をアンナ・ゴウラリ(Anna Gourari. 1972-)の独奏とカール・アントン・リッケンバッヒャー(Karl Anton Rickenbacher, 1940-2014)の指揮するバンベルク交響楽団の演奏で聴く。作品を委嘱したウィトゲンシュタインは、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの兄で、ウィーン出身のピアニスト。実家は製鉄事業で成功したオーストリア随一の大富豪であった。ウィトゲンシュタイン第一次世界大戦に従軍して隻腕となったが、左手だけでのピアノ演奏の道を模索。既成の曲を左手で演奏できるように編曲したり、実家の財力を駆使して作品を作曲家たちに発注したりして、左手で演奏できるレパートリーを広げた。リヒャルト・シュトラウスウィトゲンシュタイン家に出入りしていたため、作品を依頼され、1925年に《家庭交響曲余録》を書いた。ただ、作品の評判があまり良くなかったので、今度はリヒャルト・シュトラウスが自発的に《パンアテネ祭の行列》を作曲して1927年に発表した。こちらも大した評判にならず、リヒャルト・シュトラウスはこの分野での曲作りを控えるようになった。
これらの曲は、右腕が故障したピアニストにとっては貴重なレパートリーのひとつなのだが、同じくウィトゲンシュタインが委嘱したモーリス・ラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲ほどに演奏されているとは言い難い。この曲を発表したときには、既に作曲業界ではクロード・ドビュッシーアルノルト・シェーンベルク等が台頭していて、リヒャルト・シュトラウスの音楽はもはや作法が古いと思われていたからだ。先進か保守かという分け方で保守的傾向の作品を蔑ろにする考え方は第二次世界大戦後に一層強まったことで、この曲の演奏機会は自然と減ることになった。

ゴウラリとリッケンバッヒャーの録音は、これらの曲の復権にふさわしい演奏である。